こんにちは。林谷です。
今日は僕が最も苦手なことのひとつ「車の運転」についてお話しします。
車の運転が苦手で、運転免許を取るのに苦戦した
学科も実践も苦手だった
僕は21歳のころ、運転免許を取得しました。これは身分証明として必要であることや、当時勤めていた警察官の仕事でどうしても必要であったためです。
当時は今より20年近く前で、まだ車離れも進んでいないかな…というくらいでしたから、まだ『(免許を)取って当たり前』と言う感じでした。
とはいえ、学科試験も実地試験もどちらも何度も落ちるほど、とても苦手だったのです。
学科試験はあのひっかけ問題というか、ひねりを加えた問題がどうも苦手で、何回も引っかかってしまう始末。最後の本試験に4度も落ちるという珍記録も生みました。今から考えると、僕の持つASD(自閉症スペクトラム)の特性である『言葉を額面で理解してしまう』点が関係していたかもしれません。
さて、本題の運転が苦手な理由に入ります。今回は発達障害を持つ僕が苦手な点として3つ挙げていきますね。
発達障害の僕が『車の運転が苦手』な3つの理由
①一度に意識する箇所が多い「マルチタスク」
1つ目は「マルチタスク」であることです。
これが運転が好きな人であれば「運転」「ドライブ」でひとくくりなのでしょう。ただし僕の場合は「運転作業」でこれだけ意識ポイントが分類されます。
■前の視界
■左右・バックの視界
■ハンドル操作
■スピードメーター
■アクセル・ブレーキ
■ギア
■ハンドブレーキ
■方向指示器のスイッチ
■(雨の日)ワイパーのスイッチ
■周りの車や人にぶつからないかどうか
■目的に沿った道を進んでいるかどうか
これだけの意識を同時にしなくては…というモードになります。この作業項目のどれかに偏るということは許されず、状況に応じて『調整する』というのが、どうしてもできませんでした。
結果どうなるかというと、『超安全策』で、ひたすら指定速度に沿って走る感じです。車に乗っている方なら分かると思いますけど、こっちの方が危なっかしい時もあります。
②とっさに判断し、行動しなくてはならない
2つ目は、「とっさに判断し、行動しなくてはならない」ことです。
例えば進路変更。『今だ、行ける』と思った瞬間に方向指示を出して(事前でも良いとは思いますが)、すぐに移動しなくてはなりません。
僕としてはしっかり準備して確実な状態にしてから行動に移したいタイプなのですが、速さと適切さを同時にクリアしなくてはならないことが僕にとっては辛いことでした。
また、行けるはずと想定していた道に違法駐車がいて通れないために、別のルート探さなきゃ…のような予想外の展開にも苦労しました。
時間をかけて100点、でなく素早く合格点を出す…という方式は、僕には向いていないかもしれません。
③周囲の交通の流れに合わせられない
3つ目は、「周囲の交通の流れに合わせられない」ことです。
道路って、交通ルールに沿って走るわけですけど、その道によって周囲の交通の流れに合わせなきゃいけないこともあると思うんです。『ここは飛ばすところだ』とか。
後は曖昧ながらも周りの流れに何となく合わせないと行けなくて、ただ法定速度を守って走っているとトラックに『ウィー!!!』とクラクション鳴らされたりすることもありました。
その場その場で「ルール」を見極めて臨機応変に対応していくというのは、僕には過酷な作業なのです…
これに加えて『方向音痴』『地図音痴』も加わって大変
今どこに向かっているかが分からない
この3つのポイントに加えて、僕はかなりの方向音痴になります。どれくらいかというと、ひとりで新宿西口から出られないくらいです(新宿駅を知らない方はこちらのサイトから地図を見ることができます)。
これが緊張状態の強くなる運転中だと、さらに迷いやすくなります。そうして何度も同じ道をぐるぐる回ってしまう、ということがあったのです。
かつ、地図(ナビ)も読めない
であれば、『ナビを使えば?』と考えたかもしれません。しかしながら、実は僕はナビも読めません。ナビの画面である地図(=平面図)と、実際の風景(=立体図)がイコールにならないためです。
僕は比較的、視覚情報を処理することは得意です。しかしなぜか『平面図⇔立体図』の返還だけは苦手で、結局ナビの案内とは違う道を行ってしまって『ルートを変更します』を永遠に言われる羽目になることもありました…
安全を考え、現在車の運転はしていない
一時期は『ドライブ出来たらかっこいいな』『家族を乗せられたらいいな』など考えましたが、今は自分自身を冷静に見つめ『運転しない』と決めています。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
最も車の運転について悩んだのは、周囲から言われる『“男”なんだから車の運転くらいできた方がいいだろう』という偏見でした。そのためにできなきゃいけない、できなきゃいけないと練習していたころもありました。でも、全くうまくなりませんでした。
僕が勤めていた警察も、最終的には『車の運転から逃れられない』という理由もあって辞めています。
何よりも安全に生きる。それを重視して判断しました。頑張ればなんとかなることであれば、できるまでやる。でもどう頑張ってもできなければ、スパッとやめる。こう判断するようになってから、少し生きやすくなったかなと感じています。
いま、何か無理して『できないといけない』と意識していることはありますか?もし自分の心身を損ねるレベルのものであれば、手放すことも案の一つとして考えてみても良いかもしれません。
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