こんにちは。フリーライターの林谷です。
発達障害、ASD(自閉症スペクトラム)の当事者になります。
タイトルの通り、今日は『持論』をお話しさせてください。
今日お話しするのはあくまでも僕個人の意見なので、『それは違う』という見解があるのももちろん『あり』です。
これもタイトルの通り、テーマは『カミングアウト』になります。
職場や友人関係、恋人関係など様々な場面で『自身が障害を持っていること』を伝えることに苦労している方が多くいます。障害を公開せず働く『クローズ就労』であれば隠すことへの強い意識から、さらにこの言葉を考えているかもしれません。
『言うのが辛い…』『伝えたことで嫌がられたらどうしよう…』この気持ちは、よくわかります。ただ僕はどうしてもこの『カミングアウト』という言葉自体に強い違和感を持っているのです。
今日は、そんな違和感の話です。すぐに解決・改善という話ではなくて申し訳ありませんが、苦しんでいる方が多い話題を聞いて、これだけはお伝えしたいと決めました。
【持論】発達障害『カミングアウト』への違和感
違和感1:「カミングアウト」の言葉自体がさらに伝えるハードルを高くしている
違和感の1つ目は
『「カミングアウト」の言葉自体がさらに伝えるハードルを高くしている』
です。
カミングアウトって、何か重大なことを伝えるときに使う言葉ですよね。
◆今まで言えなかった気持ちを伝えるとき
◆これまで隠していた、後ろめたいことを勇気出して伝えるとき
◆悪い行いをしたことを伝えるとき
これら以外にも本人にとって大切な局面で使われる印象があります。例えば、
『僕の星座をカミングアウトします!』
とはならないですよね。
発達障害に対する当事者の感じ方、職場など周囲の環境の雰囲気などでも変わりますが、それでも僕はこう思います。
発達障害も、星座や血液型のように自然に受け入れられるものであってほしい
こう思っているのです。
少なくとも
◆当事者の中に悪い意味で障害を重く捉えている人がいる
◆障害を重く捉えさせる周囲の環境がある
この2つがなくならない限り、
『差別』が『特別』になることはないと思っています。
YouTubeの動画などで、自虐ネタで発達障害を言う方。ときどき見かけます。これが本人は当事者でなく馬鹿にする気持ちで言っているのなら許しません。ただ、あくまで自身が当事者で、障害を笑い飛ばすくらいの気持ちで言うのなら僕は『あり』だと思っています。本来はそれくらいの距離感で良いと思うんです。
四肢の障害を持つ乙武洋匡さんが話す『手も足も出ない』、これが究極の障害の向き合い方だと思っています。ハゲ頭や太っていることは、活かそうと思えば芸風にもなるのに(気分を害した方ごめんなさい。ここでは才能として言っています)、発達障害はなぜ芸風にならないのか。
『芸風』ってみんな芸人になれと言っているわけではないですよ。それくらいの表現方法があるからこそはじめて『個性』と言えると思っているのです。
障害を後ろめたいものとしてほしくない。星座や血液型のように気軽に言える。そういう時代が来ることを願っているし、僕自身隠さずに公開し続けるように心がけています。
②【周囲の方へ】カテゴリで見ることを止め、様々な『違い』に気づいてほしい
2つ目は当事者でない周囲の方に向けたもので
『カテゴリで見ることを止め、様々な「違い」に気づいてほしい』
ことです。
発達障害を持つ当事者が『カミングアウトしなければ』と重く捉えてしまうのは、もちろん本人だけでなく周囲の環境がそうさせていることもあるでしょう。今でも障害者というだけでいじめや嫌がらせをするという論外な輩についての話題をよく目にします。僕自身も直接的ではないですが、障害も関係して職場で嫌がらせを受けたことはあります。
これって結局、周囲が自身も含めそれぞれの『違い』に気づいていないからこそ、『発達障害者だけ違って見える』わけですよね。
そろそろ、人をカテゴリで見過ぎるの、やめにしませんか?
このブログもそうですが、自身から分かりやすく伝えるためにカテゴライズするのは良いと思います。ただ、『普通の人』『この人は○○タイプ』『これだから発達障害は…』という見方で人を区分けしてみるのを、もうやめてもらいたいのです。
確かに『基準』を設けて、種類分けして人を見た方が楽です。人に出会うたびどんな人か考えたり、探ったりする手間はありませんから。ただもう、その考え方では追いつかないほど様々な種類の方がいるのです。
障害もそうですし、LGBTなどマイノリティと呼ばれる人がたくさん出てきています。本当に突き詰めれば、世界全員1人ずつのマイノリティですから。これは極論ですけど、もう人と直接向き合う前から人の性格を見分ける時代は終わっていると思います。
人ひとりひとりとしっかり対面して、さまざまな『違い』を見ていければ『カミングアウト』する必要やプレッシャーがなくなります。そんな人が沢山いるわけですから。
③助け合わせてもらえない。『受け取る側』を強要される
3つ目は
『助け合わせてもらえない。『受け取る側』を強要される』
ことです。
これは、僕自身も体験して強く思っていることです。確かに障害者雇用などで周囲がサポートしてくれることは大切なことですし、有難いことだと思っています。
でも、発達障害って何もできないわけではないんです。
人である以上、助けられていたら助けたいと思うのが健全な心ではないでしょうか。しかし、『障害者なんだからそこまで頑張らなくていい』『障害者は自分のことさえしていればいい』当事者ではない周囲の方、こんなふうに思っていませんか?
僕も障害者雇用として働いていた時、普段お世話になっているから『自分のできることで周囲をサポートしたい』と思っていました。そうして周囲に働きかけもしました。
結果『出しゃばるな』です。『電話が取れないなら大人しくしていろ』と言わんばかりに。さらに『そんなにできるならやらせてやる』と、大量に仕事を回す無茶ぶりまで。
なぜ、『障害者に助けられることがいけないこと』と思うのか、『一方的に支援を受け取る側でいるべきだ』と思うのか。さらにそれが『人として生きられない差別になることがある』ことに気づいていないのか。僕は声を大にして伝えたいのです。
こういった無意識にでも生じている強弱関係がある限り、職場などで自身の障害を伝えることにプレッシャーを感じてしまう方が出てきてしまうのではないでしょうか。
『カミングアウト』という『言いづらくなる』課題が生まれてしまうのではないでしょうか。
おわりに
今日は、僕の持論を話させていただきました。
すぐに何とかなるものでもないし、抽象的なこともあるのでお役に立てなかったらごめんなさい。それでも、どうしても言いたかったことなのです。
発達障害の当事者の方には後ろめたさを感じてほしくないですし、良さを見出してほしい。
また、障害を持たない周囲の方も、『普通』という物差しで見る時代はとっくに終わっていることを知ってほしい。
時間のかかる問題かもしれないけどそれでも向き合っていてほしい。
要求ばかりになってしまいましたが、僕自身も障害に嫌悪感を持つことをせず、友達のような感覚で向き合っています。そうした人が一人でも多く増えてほしい、と切に願っているのです。
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