こんにちは。フリーライターの林谷です。
今日は僕がこれまでに経験した
・警察官
・障害者雇用の事務職
・障害者支援事業のWebライター
このうち、「警察官」の経験についてお話ししたいと思います。経歴の流れについては自己紹介記事でお話ししていますので、そちらも併せてご覧ください。
およそ10年間、警察官の仕事をした
20歳から警察官になった
僕は20歳の時に専門学校を卒業し、警察官になりました。警察官になったのは少年相談員になりたかったからです。ただ、このポジションは当時警察官にはないことがわかったので、就職後は「少年課の刑事になりたい」という目標を持って臨んでいました。
25歳の時に腎臓病発覚。一線での夢を諦めた
警察学校を卒業後、交番勤務、機動隊を経験しました。この機動隊での2年目、25歳の時に腎臓病(水腎症)が発覚し、手術することになったのです。今でもお腹に30センチほどの傷跡があります。
これは悪化を防ぐための手術であり、回復させるための手術ではない為、腎臓の状態は手術前と変わっていません。このことから、激務を伴う警察の一線での仕事を諦め、自分のできることを探して頑張ろうと、当時配属されていた事務の仕事を頑張っていました(これが、後の障害者雇用の事務の仕事に活きるわけです)。
30歳の時にうつ病発病。32歳の時に退職した
29歳の時に機動隊を出て、本部勤務になりました。自身がその時希望していた事務や情報を扱う仕事に就けたのです。しかしながら、ここで自身が発達障害を持つことに気づかされる、さまざまな苦手なことに直面しました。
さらには直像の上司との関係も築けず、パワハラまがいな対応も受けていた影響で、僕はうつ病を患ってしまいました。2年間休職しながらリハビリを頑張りましたが、やはり一度ダメになった環境での復帰は難しく、退職することになったのです。
これが、僕の警察時代のざっくりとした経歴になります。さて、こののち僕が発達障害のひとつ、ASD(自閉症スペクトラム)の診断を受けるわけですが、今から考えると『特性上苦手なことだったのかな…』と思うことが3つあります。
【体験談】発達障害の僕が警察官の仕事で苦手だった3つのこと
①周囲との連携や調整。複雑なコミュニケーション
1つ目は『周囲との連携や調整。複雑なコミュニケーション』です。分かりやすく言うと『相反する意見や価値観を受け、バランスの取れた答えを出さないといけない』ことになります。
僕は最後の本部勤務では、29歳ながら社員の勤務状況を管理する仕事をしていました。そのため、相手にとって都合の悪いことをお願いしないといけないことも多くあったのです。もちろん、それをお願いしなければまた他の人の都合が悪くなる…どうやっても誰かに文句を言われる状態でした。
そういう『正しいことをしているのに文句を言われる』ということに耐えられず、結果的に辛いことを全部自分で受けるようになっていったのです。この積み重ねが、うつ病を近づけたのではと思っています。
②自動車の運転
2つ目は『自動車の運転』です。なぜ苦手なのかはこちらの記事で詳しくお話ししていますので、併せてチェックしていただくと幸いです。
仕事上、どうしても車の運転ができないといけませんでした。昇任しても、そのまま異動し続けても、どちらにせよ車の運転をしないといけない。これは長いこと自分の中でプレッシャーになっていました。
本部勤務の時、夜に仕事を終えた後、自宅に帰ってから運転の練習をする日々が続きました。しかし一向にうまくなりませんでした。
車の運転のような『一度に双方向に注意を向けないといけない(=マルチタスク)』ことが、どうしても鈍かったのです。
できないといけないのに、できない。これもうつ病の症状を加速させる一因になっていました。
③平均的(以上)なスキルを求められること
3つ目は『平均的(以上)なスキルを求められること』です。
僕は当初自身が発達障害を持っていることは分かりませんでした。しかし、能力に偏りがあることは理解していたのです。例を挙げますと
◇交通法規を覚えるのが苦手だけど、少年法関連を覚えるのが得意
◇車の運転は苦手だけど、パソコン操作は得意
というように、「得意」と「苦手」の差が激しかったことを覚えています。
警察官は、外では隙を見せてはいけません。ちょっとでも苦手なことが前面に出てその隙を突かれてしまったら危ないことになる可能性もあります。
かつ、基本は部隊として団体行動を取るスタイルを重要視しますから、凸凹があるようでは全体として調整しにくいのです。そのため僕のような得意と苦手がハッキリした人間=苦手が目立ってしまう人間は、これを埋めるために頑張る以外に方法はありません。
得意を伸ばすことができず、こうした常に苦手克服がメインになっていることが、自身の精神にじわじわと負担をかけていたのかもしれません。
警察官の仕事で学んだこと
苦手なことが多かったとはいえ、警察官の仕事をして無駄だった、とは思っていません。警察組織自体に不満はないですし、学んだこともあります。
①仲間を意識する気持ち
学んだことの1つ目は、『仲間を意識する気持ち』です。やはり団体行動を重視することもあって、お互いがお互いを意識するように教えられました。
僕はバイクの運転も苦手で良く得意な人から教わっていましたし、僕も剣道が苦手な人に付きっ切りで教えたことがあります(今僕、三段だったりするんです)。そうした『皆で進んでいこう』という姿勢は、今の自分にも活きていると思っています。
②油絵
2つ目は『油絵』です。
教育の一環で、油絵を職場の行事として行う風習がありました。僕は絵を描くことが好きでしたが、油絵を描いたことがありませんでした。ここで経験しなかったら、おそらくトライしていなかったかなと思います。
数回、賞をいただいたこともありました。賞品のお買物券は親にプレゼントしたのを覚えています。
ちなみに当時描いた絵は、こんな感じです。
林谷 隆志『未来。』 |
③障害特性をコントロールすること
3つ目は『障害特性をコントロールすること』です。
繰り返しになりますが、警察は部隊で動きます。ですから個性を活かす方法ではなく、周囲にいかに合わせるかを重視します。そうなれば僕のような個性の強い人間は、いかに周りに合わせるかを嫌でも考えることになるのです。
でも、ここでそうした『自制する気持ち』を身につけなければ、僕はもっと誤った方向にこだわりが強く、執着する『くせ』がついていたかもしれません。
そのこだわりや特性が周囲の為になるか、バランスを考えることができるのは、警察で徹底的に『没個性』を学んだからだと思います。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
今から考えると、無謀にももっとも辛い環境に飛び込んだんだなと思います。しかしこの経験を積み重ねたうえで今の僕がいることは言うまでもありません。
自分を活かす環境と「真逆」の場所でしたけれど、だからこそ直面すること一つ一つに「学び」もありました。
およそ10年。もう辞めてから8年が経ちます。やっとこうして振り返られるくらいまできました。ここで学んだ経験を大事にして、改めて自分の個性を活かすことを大切にしていきたいなと思いました。
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