【発達障害】ASDの診断を受けた時『嬉しい』と感じた理由3つ

発達障害の診断を受けた時の感覚とは? 

こんにちは。林谷です。
今日は僕が持つ「発達障害」についてお話しします。その中でも今回は『診断を受けた時の感覚』に焦点を絞ってお話しします。

発達障害を初めて知りますという方のために、または発達障害についておさらいするために、ここでも主な3つの種類をポイントにして紹介します。さらに気になった方はこちらの記事をご覧になってくださいね。

(発達障害の主な種類)

ASD(自閉症スペクトラム)
かつてはアスペルガーや自閉症など呼ばれていた障害。これらがすべて統合されている。主に対話、不明瞭なものへの対応などで苦労しやすい傾向がある。

ADHD(注意欠如・多動性障害)
主に注意欠如、多動性、衝動性の特徴を持つ障害。注意力のコントロールに苦労しやすい傾向がある。

LD(学習障害)
主に学習面において苦労しやすい障害、書字障害や読字障害、その他計算が苦手などの障害がある。

主にこの3種類です。発達障害は医療機関などで心理検査を受け、その結果から診断されます。僕は31歳の時にこの検査の結果、『発達障害(自閉症スペクトラム)』と診断されました。
参考:発達障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
参考:発達障害の基礎知識|「ASD」「ADHD」「LD」の種類・症状・原因は?それぞれの特徴も解説 | HugKum【小学館公式】


診断を受けた時、すんなり受け入れられた理由は?

診断結果では、ネガティブな気持ちにはならなかった 

こうして僕は医療機関から診断を受けた時、正直僕に悲しみなど、ネガティブな感情はありませんでした。ではなぜそんな気持ちになったのか。3つの理由をお話しします。

理由1:昔から抱えていた『違和感』の原因が分かり、安心できた 

『発達障害』と言われて最初に感じたのは、『安心感』でした。

これはこの日までに僕は、主に対人関係において沢山の
『違和感』
を持っていました。項目によっては『僕は理解されない人間なんだ』のように
『罪悪感』
になっていたものもありました。

幼稚園、小学校、中学校ではまるで『そういうルール』のようにいじめられていましたから、『僕は無条件で否定されるべき存在』というコンプレックスが染み込んでいるんです。

どうしていじめられ続けるのか明確な理由などが分からず、全て自分の取り組み方や努力不足、というように思っていたからです。

でも結果その原因には、障害によるものもあった。全部ではないと思いますが、
障害が原因でできなかったこともあった
そう思えただけでとても安心したことを覚えています。

それだけで、ある程度『自分も頑張っていたんだ』と思える部分が増えたのです。
参考:自分が「発達障害」だなんて認めたくなかったけど / 『ニトロちゃん』作者・沖田×華氏インタビュー | SYNODOS -シノドス- | ページ 2

理由2:特別な人間になれるチャンスだと思った

2つ目の理由。当時は正直、『チャンスだ』と思いました。

僕自身、人と同じであることを極端までに嫌がる人間です。ここで少し触れてますけど、
○×ゲームで自分以外の全校生徒が反対にいても、平気でいられる人ですから(全校生徒から大笑い1回、全校生徒から胴上げ1回)。

それくらい、昔から表現方法や動機の質は別として、『特別であること』『僕だけであること』これに強い執着がありました。

もちろん、前提として、人間本来はみんな特別です。ここでは、『受け入れやすい』『分かりやすい』個性として、発達障害の診断にチャンスを感じたのです。ですから臨床心理士のカウンセラーさんから『発達障害』と言われて、僕は嬉しかったです。

中には障害であることを認めたくない、という方もいることを報道やウェブ記事などで見ます。しかし僕は、そんな感覚でしたから受け入れも早かったです。

恥と思うのがもったいない』僕はそう言いたいし、仮にあなたを恥と見る人間がいたとしたら、僕はひとこと言いたい。
では、"アナタ"は立派なのですか?』と。

参考:なぜ大人になるまで見過ごされるのか|大人の発達障害ってなんだろう? - 大人の発達障害|NHK福祉ポータル ハートネット
参考:筑波大学|TSUKUBA FUTURE|#081:マイノリティ問題への文化人類学的アプローチ

理由3:人に伝える『明確なテーマ』ができた

3つ目の理由は、
人に伝える明確なテーマができた』ことです。

僕は20代の時から『大学で講義をしたい』という目標を持っていました。何を言いたいとか、それでどうしたいとかそういった具体的なイメージはなかったのです。しかし何かこう、多くの人の前で自分の経験や思いを伝えたい。という漠然としたものを持っていたんです。

ただ当然、何を言いたいか決まっていないので、頓挫でした。

そこに『発達障害』という明確なテーマができたことで、ひとつ、伝えるべきテーマができた気がしたんです。講義はまだ分かりませんが、現にこうしてブログで伝える機会ができました。こうやって自己表現・自己発信の機会が得られたことに、僕は感謝しています。

おわりに 

これは人にもよりますが、お話しした通り僕の場合は発達障害と診断されたことで嫌なこと
それは全くありません。

もちろん今でもコミュニケーションであったり、執着し過ぎてしまうこと、悩み過ぎてしまうことなどはあります。ただそれは『診断されたから』ではなく、元々僕が持っていた悩みです。

ですから中には『自分が障害者である』ということが、とても受け入れられない…という方もいるでしょう。

しかし、『障害者であるから恥ずかしい』と思っている人へ。そういった固定概念はないですか?逆にあなたしかできないことがあるかもしれないのです。『障害者』だからできるもの、見えるものもあるのです。少なくとも僕は、そう思います。

発達障害と診断された皆さん、あなただけしかできないコースが、今始まったんですよ。
僕と一緒に、『いいところ』を探していきませんか。


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