ちなみに林谷は、ギターを弾けません |
芸術において『いらない』と感じている要素がある
こんにちは。フリーライターの林谷です。と同時に、アーティストでもあります。
僕のアート活動に関してはこちら『記事ジャンル:アート活動』の記事を参考にしていただけますと幸いです。
今日はそんな僕が考えている『芸術(主に絵画など視覚芸術)で“これはいらないと思う”要素』について3つお話しします。
あくまで個人的な『私見』として、参考にしていただけますと幸いです。
【私見】本当は芸術(絵画)にはいらないと思う3つの要素
①作品にメッセージ性を強制すること
1つ目は『作品にメッセージ性を強制すること』です。
この作品は平和を訴えたものである、当時の時代背景を風刺したものである…こういった作品にメッセージを込めること。それ自体は素晴らしいことだと思います。1つの表現の形と思っています。
ただ、メッセージを“必ず”作品に込めなきゃいけない、というのは違うのではないでしょうか。
『何が言いたいか分からないから、(この絵は)良くない』
この言葉、僕も良く言われました。こんな形でアートを否定してしまうこと。それはその作品から何かもらおうって受け身になっていると思うのです。
これってすごく勿体無いことで。自分から感じ取ろうとする意思で芸術と向き合えば、何十倍にも楽しめると思います。『綺麗と思った』それだけを感じる芸術があっても、僕は良いと思っています。
メッセージ性を必ず求める文化があると、こうした主体的にアートを感じ取ろうとしなくなる方が増えてしまう。と、僕は危惧しているのです。
②作者が作品について解説すること
2つ目は『作者が作品について解説すること』です。
僕自身もパラリンアートなどで作品の解説をすることがあります。その時、いつももどかしさを感じるのです。相手への礼儀としてお伝えはしていますが、作品について何から何まで説明するのは何か『違う…』と感じています。
理由は1つ目と共通している部分もありますが、見る人に『見方・感じ方を限定してしまう』ことになりかねないか…と考えているためです。
ですから僕は、必要以上に作品の解説をしようとは、思っていません。状況説明程度に留めたい、というのが本音です。
見る人には自由に感じてもらって、それを『正解のうちの1つ』として大事にしてもらいたい。そう僕は考えています。
③必ずアナログでないといけない、という考え方
3つ目は『必ずアナログでないといけない、という考え方』です。
今はコンピューターグラフィックや、Photoshopやスマホの描画アプリなどのツールも浸透しています。その影響でデジタルアートも増えてきています。
僕は今からおよそ15年前、プレゼンテーションツールの『PowerPoint(パワーポイント)』で、工夫を凝らして作品を作ったことがあります。この時と比べると、だいぶ浸透したな、とは思っているのです。
…が、それでもまだ、デジタルアートの存在は、未だ肩身が狭い気がしてならないのです。『デジタルなんて手で書くより簡単』『楽に作れるアートは、アートじゃない。手で描くからこそ良さがある』という考えは、まだ残っている気がします。
僕自身もデジタルアートで個展を開いたとき、見た方から『この個展で良いのはオーナーの配置だけだ。デジタルだから心がこもっていない』と言われたことがあります。もちろん、実際にはアナログを描くときと同じで、自分の心から生まれたものを絵に表現したものです。
また、僕はデジタルアートを作っている知人が作品展に展示されていたとき、実際に美術館に行き拝観したことがあります。このとき、デジタルアートは『どう配置したらいいかわからない』『評価基準が分からないから、評価できない』からなのか、肩身の狭さを感じました。アナログとデジタルが、同じ目線で見られていない気がしたのです。
僕はアナログ絵画も作っていたことがありますし、実際に見た時の質感や圧倒される感覚など、アナログ絵画の良さも感じています。
しかしながら、デジタル絵画にはデジタル絵画の良さもあると思います。さらにはデジタル絵画はまた、デジタルだからこそ表現するうえで大変なこともあるのです。
僕で言えばアナログよりも描く前の段階でどれだけ構想を練られるかが重要になりますし、何度もやり直しができる分行ったり来たりの『迷子状態』にもなりやすい。
ですからデジタルだから『楽』、デジタルだから『良質でない』という考えに対して、そうでないこともありますよ、と言いたいのです。
では反対に、『芸術に必要なもの』は?
芸術を生み出すことにおいて、自分の『カラー』を持つことが大切
反対に、芸術において大切だと考えている要素は何か。それは『カラー』です。これは単純に配色と言うことではなく、描く人個人の持つ『軸』『一貫性』『個性』『テーマ』というほうが近いかもしれません。
僕で言えば『色の鮮やかさ』『カラフルさ』『虹色』などが“カラー”です。下のデジタル作品は、そのカラー前面に出した代表作の一つになります。もちろん、そうでない作品を作るときもありますが、あくまでもその時はこの『軸』を外すという意味で作ります。
自分が描いていて心地よいものを『カラー(=軸)』とし、かつ周囲のニーズに上手く変換できる技術も身につけていきたい。それが僕の大切にしていきたい、アートへの考えです。
林谷 隆志 『AKATSUKI-NIJI-NO-YOROKOBI』 |
このブログは、「発達障害」「HSP」「ライティング」を中心に紹介しています
このブログは主に自身も当事者である
・発達障害
・HSP
この3つのジャンルを中心に記事を公開しております。自身の経験をもとに有益な情報となりますよう努めていきますので、今後ともお付き合いいただけましたら幸いです。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
芸術には答えはありません。だからこそ探すのが楽しいのかもしれません。
僕は発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)の診断を受けています、その特性の中に『曖昧なもの、明確でないものを捉えるのが苦手』という特徴があります。そのため『どうなるかはっきりと分からないこと』や『人それぞれ異なり一貫性がないもの』に強い不安を感じることもあるのです。
でもなぜか、アートには不安感を持ちません。おそらく『絶対的に明確な答えがない』とどこかで感じているからだと思います。言い換えると『答えがないことが明確』というか。
だからこそ素直に自身から浮き上がるものを表現として外に出していきたいし、それで誰かを楽しませられることや、感じてもらえることができれば、最高です。
アーティストの皆さん、一緒に楽しんでいきましょうね。
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