こんにちは。フリーライターの林谷です。
今日のテーマは、『発達障害の名称について』になります。
発達障害という名称、変えませんか?
発達障害という名称のインパクト、大きすぎませんか?
今日はいきなり本題を言います。『発達障害』という名称、インパクト強すぎて誤解されやすいこともありますから、やめませんか?という提案です。
特に本人も含む『障害を受け入れられていない方』にとって、『障害』と言う名称が「ハードル以上」に乗り越えにくいものになっていないか、という心配をしています。
『障害』という名称に不安を感じて、周当事者との距離を取ったり、差別視をしたりしてしまう。
『障害』というインパクトが強くて、何か思い十字架を背負わされているかのような感覚になってしまう。
前者は当事者でない、発達障害を持つ方と関わる方に起きがちな心情。後者は当事者本人に起きやすい心情です。中には『障害』という言葉に違和感を持ち『障がい』と表記したり、そもそもの『障害』という呼び方に関して疑問の声を挙げている方もいます。
しかし、現状日常生活や仕事の中で問題が起きやすいこと、周囲の理解が今やっと浸透し始めたこともあって、まだ『一意見』の枠を超えたものはないというのが僕の考えです。
メリットが感じられないと問題でしかない。『個性』とは思えない
また、発達障害を含む障害を『個性』だと唱える方も出てきていますよね。とても良いことだとは思うのですが、ただ僕がこの件で思うのは『メリットが感じられないと、本人が“個性”とは思えないんじゃないの?』ということです。
例えば、いきなり知人から謎の壺をプレゼントされたとしましょう。見た目以外に何も情報がなかったら『荷物でしかない』『何かの勧誘?』『何か騙されているのかな?』と感じるのではないでしょうか。
でもこの壺が『世界で3つしかない、時価2,000万円の芸術品』と分かれば見方は変わりますよね。この壺の価値=メリットを感じたわけです。同じ形なのに、それまでは不安要素でしかなかった壺も、『価値』を知ったことで初めてその壺の良さや美しさにも目を向けられるのではと思います。
発達障害に関しても、同じことが言えるのではないでしょうか。僕自身も発達障害の一種であるASD(自閉症スペクトラム)を持っていますが(詳しくはこちらをご覧ください)、活かし方が分からなければ『融通が利かない』『社交性が低い』とか、悪い方にばかり目が向いてしまうのです。そうしてメリットを感じていないのに『障害は個性だよ』と言われても、呼び方の『害』の字を変えたとしても、本人の中にある『害』は消えないと思います。
また、余談ですが『大人の発達障害』『子供の発達障害』と分けて表記することも個人的には嫌いです。理由はそもそも同じものであるのに、表現を分けることで別のものではないかという誤解を招くおそれが出てくるからです。抱える問題やクリアすべき課題が違うから、という事情は分かりますが、それでも僕の中では受け付けられません。
そのため、記事タイトルなどで検索の便宜上泣く泣く『大人の発達障害』とつけることがありますが、あの時僕はとても心が痛いのです…
では、『発達障害』の代わりにどんな名称がいいのか?
個性をイメージしやすい名称にすれば、ネガティブなイメージが消えるのでは
ただ文句を言うだけでは、生産性がありません。僕はそういう人間にはなりたくありません。ということで、しっかりと『代案』を用意してあります。
どんな名称がいいのか。確実に言えるのは『個性をイメージしやすいような名称』にすることです。では各障害種別に分け、新しい『名称案』をお話しさせてください。
【テーマは『個性』をイメージ】発達障害の新名称案
発達障害の名称変更案に際し、障害を持っていない『定型』と呼ばれる方も名称を変えていきたいと考えていますので、今日は大きく分けて4種類の名称を提案します。
【「定型」と呼ばれている方たちの新名称】
○平均的成長型発達
(Average growth type development → AGTD)
○中庸重視型発達
(Moderate emphasis type development → METD)
○適応特化型発達
(Adaptive specialization development → ASD)
※現在のASDと紛らわしいことが課題。頭に「New」の「N」を付けてNASDなどで対応
現時点で『定型』、『健常』と呼ばれている方の新名称は上の3案です。
・成長の仕方が偶然凹凸がなかった(少なかった)
・バランスが良いことは特徴であること
・大きな欠点も出にくいことから適応するスキルに特化しているという『個性』を持っていること。
このような部分が見えやすいような名称を考えてみました。
『定型発達』ですと、あくまでも基準は定型です、という表現を感じます。…ではなく、あくまでも中庸・平均は特徴の一つとした表現を、この3つに反映させています。
【ASD(自閉症スペクトラム)の新名称】
○固有傾向特化型発達
(Specific tendency specialized development → STSD)
○集中継続志向型発達
(Concentration-continuation-oriented development → CCOD)
○明確性追求型発達
(Clarity-oriented development → COD)
次に、ASD(自閉症スペクトラム)に対する新名称案です。
・固有の物事へのこだわりがある点
・特定の物事へ高い集中力を継続させられる点
・曖昧な物事が苦手で明確な表現を求める傾向にある点
これらを踏まえ、良い面を意識できるような名称を考えました。基本的に弱みや問題になるイメージは、名称には出さないほうが良いという考えです。
これは問題や課題と向き合わないということではありません。対処として何かを調べるのではなく、その人それぞれが自分の経験や他者との関わり、医療機関などと相談していく中で生じた問題に集中する方が良いと思っています。
【ADHD(注意欠如・多動性障害)の新名称】
○多種・広範囲注力型発達
(Variety/wide range focused development → V/WRFD)
○活動・行動傾向特化型発達
(Activity/behavior tendency specialized development → A/BTSD)
ADHDは特に『欠如』と入っていますよね。これを個性と呼べと言っても『欠如』ですからね。良さがあっても感じにくいと思います。ですから良い面である『多方向に注意を向けられる』『活動的で、行動に移せる力がある』という面を強調した名称にしました。
注意力のコントロールが苦手、忘れ物が多いなどの弱みはあくまでもその特徴があってこそ生ずるもの、というイメージを持つことでよりスムーズに自身の特徴を受け止めることができると思うんです。
これは新名称案すべてに言えることですが、具体的には『悪い面の中から良い面を探そう』という従来の名称から『この特徴の問題になりやすい一面として、注意力などがある』という順番を変えるようなイメージを考えています。
【LD(学習障害)の新名称】
○論理思考型発達
(Logical thinking development → LTD)
○特殊学習傾向発達
(Special learning tendency development → SLTD)
LDに関しては正直悩みました…文字が読めない、計算ができない、そんなことも「個性」にできる!…とは言い切れないからです。
事実文字そのものの存在が変わることはないし、計算する機会は出てくる。ということは環境の中で困らないということは難しいかもと思いました。そんな中でやはり課題として苦手な部分をどうフォローするかということにも目を向ける必要は出てくるでしょう。
ただLDも、呼び方が『書字障害』『読字障害』では名称からは『できないところ』しか触れていませんよね。これではネガティブなイメージを持つのも当然です。ですから学習障害を持つ方に多い『論理的思考能力がある』ことを強調した名称や、『学習し吸収する傾向が特殊である』という表現をイメージしました。
事実他と同じ学習ができないというだけで、発想力など他の場面で力を発揮するケースもありますから、とにかくネガティブなイメージだけは変えたい、と思ったのが僕の思いです。
「論理的指向型発達のため、文字を読むことが苦手なのです」という表現の方が、弱点を『全面』でなく『一面』として意識しやすくなると思うのですが…
参考:ディスレクシアの人々は論理的思考が得意である
参考: 学習障害(限局性学習症) | e-ヘルスネット(厚生労働省)
『発達障害は病気』という概念はどう考えている?
二次障害のリスクが高いゆえ、わずかながら残しておいたほうが良い
発達障害に関して「病気」という考えもありますよね。医療機関でも発達障害を『~症』と表記(自閉スペクトラム症、注意多動症など)されたり、実際に医療機関で診断されることもあって、病気という意識が強い方もいるのではないでしょうか。
僕としては、できれば消したい概念です。ただ、実際に仕事や日常生活の食い違いによって、『定型』と呼ばれる人より精神疾患などの二次障害を発症するリスクが高いのも現実です。僕もうつ病を発症したことがあります。
こういったリスクがある以上は、やはり『病気』としての概念は診断書も必要なケースがあることから、残しておいたほうが良いのではと感じているのです。
おわりに
今日は少し突拍子もない内容になってしまいました。障害者支援サイトで様々な障害について調査した経験をもとに、名称を考えてみました。少し難しめの呼び方にしているのは、学術的な場面でも使われることを想定してのことです。
僕が特に言いたいのは『悪い一面から入るような名称をやめよう』と思っていることです。加えて「定型」を基準とし、それ以外を『不足』と表現するような形では、多様化とは言えません。正解が一つではない時代に逆行していると思います。
ですから今回、このような案を発言させていただきました。バカだなと思うのもアリです。そんなもの無理だろと思うのもアリです。もちろん、興味を持っていただけることも嬉しいことです。
少しでも自分の持っている『障害と呼ばれているもの』を個性と捉えられるために、今回素人ながらも僕はひとつ、アイディアを出させていただきました。何かひとかけらでもポジティブなものを受け取れたら幸いです。
【セットで読むと良いかも】
コメント