【体験談】批判・非難を受けた時、不快な事を言われた時の受け止め方

不快な事を言われたイメージ

不快な事を言われること、ありませんか。

こんにちは。林谷です。

今日は発達障害とも、HSPとも言えませんが、どのような方にも共通して悩みやすいことをテーマにしてお話ししたいと思います。

今日のテーマは『批判・非難』など、不快に感じることを言われた時、についてです。

本題の前に、まず簡単に「批判」「非難」について意味を説明しておきます。この2つ、似ているようで少し意味が異なるので紹介させていただきます。

「批判」
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
 
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」 
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
引用元:批判(ひはん)の意味 - goo国語辞書
「非難」
人の欠点や過失などを取り上げて責めること。「不実な態度を―する」

引用元:非難/批難(ひなん)の意味 - goo国語辞書

…とまあ、「批判」は建設的なイメージもありますが、「批判」と称して言いがかりをしてくるケースもあるので、今回は「批判・非難」を1セットで考えていきます。

聞き入れるべきものなのか、そうでないものかの判断も難しいですし、何より不快であることが多いですよね。

今回お話しする、僕が言われた出来事はさすがに違いますが、「誹謗中傷」に対しての受け止め方(解釈の仕方)にも通ずるところがあると思います。ぜひ最後までお読みください。

※念のためですが、繊細な気質ゆえに言葉に刺激を感じてしまう方向けに記事の答えをお話しします。『相手がまるで絶対、ルールかの様にいう言葉を、どれだけ“いち個人の言葉”に変換し直せるか』がポイントです。嫌な予感がする方、刺激的な言葉が苦手な方は、ここで閲覧をお控えください。


【体験談】僕が経験した非難、不快な言葉を言われた経験とは?

2010年にカフェバーで開催した、絵画の個展のときの経験となる

僕は比較的非難されやすいほうで、子供の頃から「目につきやすい」タイプの人間でした。そのためこの手の経験は多い方だと思っています(子供の頃、生徒の親ぐるみでいじめられたこともあります)。

その中から、今日は2010年に僕が開催させていただきました、個展の時の事についてお話しします(僕はこの記事作成のほかに、アート活動もしています。詳しくはジャンル『アート活動』から記事をご覧いただけますと幸いです。)。


2010年、この年は僕がうつ病になった年でもあり、発病前に開催を決めていたため何とか頑張ってお店まで向かっていったことをよく覚えています。

開催場所はカフェバーで、とても親切なオーナーさんが経営されている、雰囲気の良い場所でした。このオーナーさんが過去に別の場所で個展を開いた際にお世話になったオーナーさんと知人ということで、とてもよくしていただきました。今でも年賀状を下さったりする間柄です。

このオーナーさんも、他のお客さんもとても良い方で、とても楽しく、学ぶことも多かった個展でした。ただ、一人だけ、不快な事を言う方がいたのです。

「デジタルアート」についての非難を受けた

この個展では、主にデジタルアートを掲示しました。およそ20作ほどであったでしょうか。今の様にPhotoshopなどはなく、パワーポイントを応用操作して制作した作品を公開していたものです。

当時の作品1
当時の作品です

当時の作品2
今は、ファイルに入れて保管しています

このデジタルアートが、とある「自分は絵を描いている」と話す男性客には不快に感じたそうなのです。その男性客は、酔った勢いでということもありますが、僕にこんなことを言いました。

『この個展で素晴らしいのは、オーナーの配置だけだな』

『パソコンの絵(デジタルアート)なんて楽なこと。そんな楽して作るものはアートじゃない』

そう僕に言い放ったのです。要は、「作品は最低だ」ということでした。

意外にもその時僕は、凹むことはありませんでした。むしろ周りにいたお客さんの方が、心配して駆け寄ってきてくれたほどでした。僕は凹むというより、悔しさが込み上げました。

ああ、そうなんですね」と返したくらいで、僕から何か言い返すということはありませんでした。今から考えると、うつ病で精神的にしんどいときに言われて、よく耐えられたなと感じます。

あれから10年。その男性は今の僕のアートを見て、どう思うでしょうか。

林谷隆志『虹色の電撃』
林谷 隆志 『虹色の電撃』(2020)


さて、この経験をもとに、批判・避難など不快な言葉を言われたときにどう受け止めればよいか、“2つ”コツが見えてきたのです。

批判・非難を受けた時、不快な事を言われた時の受け止め方のポイント

①『絶対正義』かの様に言ってくることを、自分の中でどれだけ『いち個人の感想』に戻せるか

1つ目は、「『絶対正義』かの様に言ってくることを、自分の中でどれだけ『いち個人の感想』に戻せるか」です。

これだけでは分かりにくいかもしれませんので、もう少し詳しく解説していきます。

特にネット上の言いがかりやひどい言葉を言う方もそうですが、こういった非難や質の悪い批判は『この考えが絶対。それ以外ない』というふうに話すことが多いでしょう。要は、双方が拡大解釈しやすいように言ってくるのです。

これをルールかの様に突き付けられて、「ああ、自分は間違いなんだ」と思うことで傷ついてしまうことがあるでしょう。僕も別件で非難を受けて、受け止め方に苦しんだ事があります。

しかし、いち個人の言葉は、「いち個人」の域を超えないものなのです。世界共通のルールでもなければ、客観的な説得力がないケースが、ほとんどなのです。

『みんなそう言っている』『これが常識だ』そんな言葉からなる批判も、実際に意見を集めたものでなければ、ただの個人的感想でしかありません。

この、相手からの「不快な言葉」がどれだけの大きさなのかを見極める目が、受け止め方に大きく関わってくると思っています。

②相手が非難・批判対象の物事でどう活動しているかを判断基準にする

2つ目は「相手が非難・批判対象の物事でどう活動しているかを判断基準にする」ことです。
これも抽象的で少し分かりにくいので、具体例を出して説明していきますね。

僕がこの個展で非難されたとき、どうしてあまり凹まなかったのか。

それは、言った相手(男性客)のアートの片鱗を見て、「この人、大したことないな」と感じたからです。

要は「アートを理解していない」と判断した方から言われたことであれば、言われた非難も気にすることではないと思ったからです(ただ、傷つきはしたから10年経った今でも覚えているわけですが)。

その方がお店にて、弾き語りで自作の曲を歌っていたのですが、歌詞に深みがなかったのを今でも覚えています。

こうした「非難されたジャンルでその相手がどうしているか・どんな行動を取っているか」がもし分かったら、その状況から判断する方法も、僕はよく活用しています。

ですから不快な事を言ってきた相手が、その物事に対して何も経験していないのであれば、まず聞き入れることはないと言ってよいかもしれません。

聞き入れるべき「批判」「意見」は?

ここまでは「スルーすべき」言葉についてお話ししましたが、不快な事や都合の悪い言葉を全て流してよいかというと、そうではありません。

僕自身が「これは一旦でも聞き入れて、考えてみよう」と思う批判のポイントは下記の通りです。

◇指摘に加えて「こうした方が良いかも」など、具体的な代案を言ってくれる

◇当事者ではなくても、自分の行動や言動の経緯を知っている(そこに至るまでどんなことがあったかを知っている)


この2つがあった時は、ちょっときついなと思っても考えてみるようにしています。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

今新型コロナウィルスの関係で、先が見えず精神的に不安定である方も多いかもしれません。

僕自身もこんなことを言っていますが、自分の電話代や通信費とかどうやって払おうか迷うくらい、経済的に厳しいです(妻に甘えっきりです…申し訳ない)。

それでも、こういう辛い時にどれだけ「(“与える”の)ギブ」ができるかで、今後の成長に大きく関わって来るのでは、と信じてこのスタンスを続けています。

辛い状態でなかなか冷静に考えるのが難しいですよね。僕も同じです。今日お話ししたことが何らかの形で活きて、10回に1回くらいでも応用してもらえたら、僕は嬉しいです。




コメント